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介護職の職場体験に行って改めて感じたこと
介護チャレンジ職場体験
昨日と一昨日の2日間、介護職の職場体験に行って来ました。TOKYO介護チャレンジ職場体験。略して「かいチャレ」。
1日4~8時間、実際に介護施設に行って職場体験ができ、しかも1日5,000円の支援金が支給される。介護職への転職を考えている私としては願ったり叶ったりの企画です。
「1施設(最大3施設)につき5日まで可能」ということで、早速、市内にある特別養護老人ホームに応募しました。特に1日目は大変緊張しましたが、本当に有意義でした。
ただし、「体験」と言っても無資格状態の私ですので、移動など直接利用者さんに触れるような仕事はできませんので、基本は「見学」ですが、食事介助や傾聴、ちょっとした清掃は実際に行いました。
職場体験開始 いきなりの洗礼 排泄介助
朝9時、朝礼が終わって担当の職員さんに付き、いよいよ介護職としての業務開始です。そして、最初にして早速、介護職の洗礼?・・が始まりました。排泄介助です。簡単に言えば利用者さんがあてているオムツの交換です。
ディスポとよばれる手袋を装着して行いますが、ほぼ排便ありの状態です。大量でオムツから漏れ出している場合もあります。マスクはしていますが、当然、強いニオイを感じます。
こういうニオイは大丈夫ですか?
1日お世話になる職場体験案内担当のIさんから聞かれました。
「職場体験一発目からいきなり・・」という感じはありましたが、これは想定の範囲内で、私の子供が赤ん坊の頃のオムツ交換や母親の介護をしていた時のオムツ交換の経験が役立った感じで、特に大きな抵抗はありませんでした。
しかしながら、横たわったままの利用者さんに声をかけながら身体を左右に向かせ、陰部をきれいにし、新しいオムツをあて、汚れたオムツや手ぬぐいやディスポを振り分けて処分するなど、「介護のプロ」としての手際がたくさん見学できて勉強になりました。
体験して初めて実感 利用者さんへの声掛け
排泄介助が終わった後、「うん、この調子で行ける」と思った矢先、思わぬところで戸惑いを感じたことがありました。それは「声掛け」でした。
排泄介助の時は、ニオイなどに気を取られていましたが、Iさんは常に利用者さんへ声掛けをされていました。利用者さんへの水分提供の時もや昼食時の食事介助の時も。
そうですよね。そりゃ必要ですよね。介護士さんたちの仕事相手は「人」ですから。「〇〇介助」はあくまで技術であって、その技術を用いて利用者さんたちの生活のお手伝いをするためには利用者さんとのコミュニケーションが必要です。「介助の土台になるのはコミュニケーション」と悟りました。
他業種から介護職に転職する場合は、この部分(利用者さんへの声掛けを自発的に行うことの重要性)を考慮した方がいいのかな・・と個人的には思いました。そして、私自身もそれほどコミュニケーション能力に自信はありませんでしたが、現職で教員や広報・営業職に従事していた頃の経験が役立った感じでした。
戸惑いから成功体験へ できることをやってみた
「〇〇さんの食事見てあげてください」とIさんに言われ、その瞬間は戸惑いましたが、Iさんの見よう見まねで会話の難しい利用者Sさんに声掛けしながらの食事介助・・初めての食事介助を何とかやり抜きました。
まだ1回目でしたが、根拠のない自信と、一応、成功体験と呼んでいいだろう少しの喜びを経験することができ、こちらも大変有意義でした。「声掛け」に対する不安感も大幅に減り、どんどん次の経験を積みたいという意欲が沸いて来ました。
食事介助終了後は自身の昼休み、1時間の昼休みでした。これは施設によるものかも知れませんが、単純に私自身が「職場体験者」だったかも知れませんが、職員の方々が業務時間を大変しっかり守られているように見受けました。私の現職の「残業至上主義」みたいな昔気質の職場とは全く違う雰囲気だったのが少々驚きでしたが、どう考えてもこちらの施設の考え方の方が進んでいると感じました。
入浴介助の土台とリフトの重要な役割
昼休み後は入浴介助。さすがに実地はできないので、頭を洗ってドライヤーで乾かすなどお手伝いさせていただきました。長く利用者の家族として介護業界の方と関わって来ましたが、入浴の場面は見たことがなかったので、こちらも大変勉強になりました。
入浴介助リフトを使えば寝たきりの使用者さんも安心して入浴ができるんです。すばらしい技術だと思いました。
ただ、すばらしいリフトを使用する場面でも、介護士が絶対的に必要であることを実感しました。もちろん、ストレッチャーからリフトへの移動や利用者さんを洗って差し上げることはもちろんですが、少なからずリフトそのものや、リフトが動くことを怖がる利用者さんがいます。
時には大声で抵抗する方も・・。このような方々に常に声掛けしてなだめながら安心していただきながら身体を洗って湯船に浸かって温まっていただく。ここにも「声掛け・コミュニケーション」という土台が基礎になっていることを改めて実感しました。
介護職の意義は利用者さんの尊厳を守る
そんなこんなで2日間があっという間に終わり、緊張もあってか、大変疲れたのですが、大変有意義に過ごすことができました。
もちろん「楽しい」とだけ言う事はできませんが、「職場体験に行ったら、現実を知って嫌になってしまうのではないか」という不安は払拭され、介護職への転職希望が改めて明確になった2日間でした。良い意味で吹っ切れました。
職場体験は「1施設(最大3施設まで)につき5日」まで可能なので、施設の方々にはご迷惑をかけてしまって申し訳ないのですが、年明けに残りの3日もお願いしたいと思っています。加えて、他の施設(残り2施設)もどんどん体験していきたいと思っています。
そして、職場体験を行ってみて改めて感じました。
「介護の仕事は意義深い」とは多くの方が仰います。
これは「利用者さんの生活をお手伝いする」だけではなく「利用者さんの尊厳を守る」とい部分が大きいと、排泄介助、食事介助、入浴介助の実際を体験してみて改めて感じました。
これらを「家族の絆」「家族愛」という括りだけで、家族が「介護を必要とされる方の尊厳を維持しながら」行うことが可能なのだろうか。
できる人もいると思いますが、私は自身の経験から想像するに、ほとんどの方はできないと思います。ましてや自身の仕事を抱えながらであれば不可能。
介護職は「必要で意義深い」のみならず、もはや「不可欠」であることを今回の職場体験で実感しました。
リストラで壊れた心が少しずつ上向きに
最悪の職場からの解放も近い
今週の水曜日に現職業務の大きな山が終わりました。今の職場は12月に入ると1年で最も厳しい繁忙期に入るのですが、ここを放棄するわけにも行かず、11月に退職を申し出たものの、12月の担当業務だけはきっちりと行うこととなっていました。介護職関係の新しい動きが始まった!
タレントさんの介護士経験発信に共感
リストラ・パワハラで壊れた心が修復される?
リストラを経てパソコンマニアが介護福祉職に転職する理由
プログラマーから教員へスキルアップしたが
私は20代の頃、プログラマーとして5年程仕事をしていました。パソコンが好きでIT業界に就職し、仕事をしながら情報処理技術者の資格を取得。30代の頃に自分ではスキルアップのつもりで教育業界に転職しました。専門学校でパソコンや情報処理の知識、プログラミング技術を教える教員です。
教員職は10年程従事しましたが、30代後半くらいから学園内での雲行きが怪しくなってきました。今で言う「AIバブル」でプログラマーやシステムエンジニアを志す学生が増える前の時代です。情報処理クラスが次々と閉鎖。情報系の教員は退職するか学園内の別の部署(情報処理以外の仕事)に就くかの二択を迫られます。当時30代後半で結婚4~5年目、2人目の子供が生まれたばかりだった私は後者を選びました。
度重なる異動 徐々に下がるモチベーション
異動先は広報部。今までとは全く異なる全く未経験の仕事でしたが、家族を支えるためにと必死に努力し、一から仕事を覚え、12年学園の広報マンとして従事しました。
この時点で50歳。私としてはこのまま60歳の定年まで行きたいと思っていましたが、51歳の時に再度異動を告げられました。今度は総務部。情報処理とも広報とも異なる業種。また一から仕事の覚えなおし。広報の時もそうでしたが、また年下に頭を下げて仕事を覚えなくてはいけない。ややモチベーションは下がる感じもしましたが、この頃は、もう現状の収入を維持しての再就職など無理。定年まで学園で仕事をすると決めた以上、がんばろうと奮起し総務の仕事に取り組みましたが、2年後にまさかの再々異動。私の仕事に落ち度があったのか、当時の上司に問いただしましたが、「そうではなく次の職場で急な欠員が出たので急いで行ってほしい」とのことでした。着任して2年少しでの再々異動。しかもまた異なる職種。今度は営業職でした。
広報、総務に異動したときも同様でしたが、職員である以上、異動命令を断ることはできません。「行く(異動する)」か「辞める(退職)」かです。ここでも後者を選びましたが、この時点で完全にモチベーションが消滅していることを自分でも感じていました。
これは、会社組織を維持していくためにやむを得ない措置(異動)なのでしょうか、それとも意図的なリストラなのでしょうか?
業務指導か?ハラスメントか? 精神不安定に陥る
さらに異動先では「社員教育」「業務指導」の名の下に、ハラスメントと言っていいような扱いを受ける日々が続きました。
簡単に書けば、「今日は暖かくて過ごし易い日ですね」と話しかけると「はぁぁぁ~~あああ!!!」と威圧的な声と目付きで返事されるような雰囲気。3人しかいない部署で2人からそのような接し方をされる。これは業務指導の一環と言っていいのか。疑問は絶えず、いつしか職場でのコミュニケーションも取り難くなり、半年経過したころには精神的不安定になり職場に行くことが怖くなってしまいました。詳細は下記リンク先に書いています。
これはハラスメントでは? 私の身に起きた職場での具体的な出来事
この頃から「転職」を考え始めました。転職のことを考えている時だけが自由で楽しい気分になれる時間でした。
壊れた心で もがく あがく そして退職へ
しかし、上述したようにすでに50代(54歳)、最低限、現状の収入を維持しての転職が理想ですが、それはまず無理。でも、収入が下がってもいいので、もう転職したい…というかこの職場を脱出したい。そのくらい追い込まれた気分になっていました。
一応、プログラミングという手に職はある。これを頼りに学園の情報システム部への異動を希望しましたが、全く望み薄。「先方(情報システム部)に欠員でも出ないと異動は難しい」と上司からは言われました。というか、情報系の仕事を離れて15年。最新技術をいかに吸収して生き残っていくかという世界でブランク15年の50代を誰がほしいと言うだろうか。
何よりも「今の私の異動希望など誰が聞くか!」
そんな疑念を抱くくらい職場への強い不信感がありました。
他力本願の異動願いに頼っていられない。異動が決まる前にこちらの精神が潰れてしまう。もう、正社員でなくてもいい。ブランクがあっても一応手に職がある。ハローワークの求人を見ると「年齢不問」「ブランク可」といった求人も多い。こちらに一縷の望みをかけて退職に踏み切りました。
パソコンマニアが介護福祉職へ転職
実際の退職日までには有休消化も含めて3か月ほどあったので、現職の休暇などを利用して本格的な就活を始めましたが現実は厳しものがありました。正社員はもちろんのこと、契約社員、派遣社員ですら不採用。書類選考も通らない状況。
やはり情報システム部への社内異動と状況は同じかもしれない。全く手応えがない状況に途方もない不安と焦りを感じざるを得ませんでしたが、ここで少し考え方を変えてプログラミングの以外の仕事を探してみました。
結果、たどり着いたのが介護福祉職でした。
詳細は下記リンク先に書いています。
私は、30代後半から40代にかけて十数年来、祖母と母親の見守り・介護を行っていました。この時の経験から介護福祉業界には興味はあったのですが、現職の忙しさもあり、縁がないものと思っていました。でも、このタイミング、介護福祉業界に転職するなら今かも知れない。収入は低く労働環境も過酷と聞く業界。でも、40~50代未経験の転職は可能。しっかり取り組むことができれば70歳まで仕事をすることもできる。もう迷う選択肢はありませんでした。あくまでの利用者の立場からですが、十数年来接してきた介護福祉業界。これも何かの縁かも知れません。介護福祉業界へ転職することを決めたのでした。
祖母と母が残してくれた道筋だと信じて
ふと考えました。ただの「パソコンマニア」だった私がどうして介護福祉業界に興味を持ったのでしょう。それは紛れもなく祖母や母親の見守り・介護を行ってきたからに相違ありません。
正確には14年。最初の8年は病院へ車で連れて行ったり、日用品の買い物を代わりに行ったりする程度でしたが、後の6年は病院と介護施設の往来、母が救急車で搬送されることも度々、都度入退院手続き、退院すればまた介護施設探し、相談、入居手続き…そんなことの繰り返しでした。
でも、その経験がなければ介護福祉業界へ転職するという発想はありませんでした。その経験が、職場で精神不安定に追い込まれた私を次の仕事に導いてくれたのかも知れません。もっと言えば、祖母や母が私に最後の道筋を用意してくれていたのかも知れません。
そう考えた時、ふと涙が出ました。
そして徐々に心が安定して来ていることを感じました。
「きつい、汚い、給料が安い」という3Kと言われる業界。50代未経験からの転職者が多いとは言っても、実際は無謀な選択なのかも知れません。年齢的に考えれば、今度は本当に自分が倒れる可能性だってあります。でも、不本意だったこの十数年来の会社生活をなんとか立て直したい。そんな気持ちになることができました。
あの14年間の経験を与えてくれた祖母、母に今は感謝しています。
行き詰まり、最低、不安定 どん底から見えた光
行き先のない不安 現状に戻る恐怖
どんな表現が当てはまるのかわからない。行き詰まり感、惨めさと虚しさ。退職を申し出たものの行く先の見通しはゼロ。このまま行けば来年の2月からは無収入状態。
今の職場に「退職を撤回」と言ったらどうなるか。まぁ、「社員育成」の名の下に耐え難い罵詈雑言を浴びせられ、仮に元の鞘に収まれたとしても、その場所はこの1年で精神不安定に追い込まれた職場である。今の年収550万を守ったとしても、さらに強い精神不安定に陥ることは明白。だから「戻る」選択肢はあり得ない。
何にしても最低の気分だ。
でも仕事は探さなきゃ。
潜んでいた選択肢 引き出したのはネット検索
「戻る」ことができないのだから「進む」しかない。そこを悩む必要がない分だけ気持ちは少し楽だった。そんな、ほんの僅かな心のゆとりが自分を救った。
今まで拘っていた「IT系技術職への復帰」から少し離れて考えてみてはどうか。そんな気持ちでネット検索。藁をもつかむ気分だったが、キーワードは「50代 未経験 転職」。意外と多くの仕事が出てくる。多いのは「警備員」「清掃員」「軽作業」など。
確かに街中で高齢のおとうさん風の方々が交通整理などやっているのをよく見かける。
まぁ、全く仕事がないわけではない。不本意ではあるが、今までの貯金を切り崩していけば、なんとか凌いで行けなくもない。ここで、さらに気持ちが一段落ち着く。
そして、いくつか同様のキーワード検索をしているうちに気になる仕事がヒットした。
それは、「介護福祉職」だった。
忘れかけていた第3の人生 介護福祉職
ん!?介護福祉職…そういえばそっちの業界に興味を持った時期があったな。。
私は20代の頃、プログラマーの仕事をしていた。これが「IT系技術職」で、この頃が第1の人生だった。プログラマーの経験を活かして30代から「教育業界」に転職した。パソコンや情報処理の技術を教える教務職である。これが現職で第2の人生。23年程継続して今に至るのだが、第2の人生後半はリストラとも思われる異動の連続で精神的不安定に陥った。人を信じられなくなり、職場に恐怖心を抱くようになった。
30代後半から40代の頃には母親(4年前に他界)が要介護状態になり、仕事をしながら見守り・介護を14年程続けた。ソーシャルワーカー、ホームヘルパー、介護福祉士、ケアマネージャーの皆様にお世話になった時期が長かった。自分でも食事、歯磨き介助、おむつ交換等々やっていた時期もあった。もちろん「介護保険利用者」としての域を超えないが、この辺りの経験から、介護の仕事に興味を持っていた。
直接人に喜んでもらえる仕事。いつか介護福祉職を本業にしてもいいかも知れない。などと思っていたが、現職の多忙にかまけてすっかり忘れていた。
介護福祉業界 54歳未経験 正社員採用あり?
今現在、従事されている方々には申し訳ないのだが、一般的に「きつくて低収入」と言われている業界である。自身が体力的に耐えられるのか、家族を支えるだけの収入が得られるのか、そして、何よりも「54歳未経験」で採用してくれるのか?早速、調べてみることにした。
月並みではあるが、まずはネット検索から始めた。程なく見つかったのが東京都福祉人材センターだった。介護職だけでなく相談業務、福祉系事務職など介護福祉職に関係する様々な情報を得られるところで、早々に相談の電話をしてみた。
電話に出た担当者との話、最初に聞いたのは、やはり「54歳未経験で他業種からの転職が可能か」という事である。結論は…
「大丈夫ですよー」
だった・・・・・。
あまりにも簡単に言うので二度聞きしてしまった。
私 「あの、54歳未経験で本当に正社員として採用してもらえるのですか?」
担当者 「はい、40~50代で他業種から転職される方は多いですし、施設を利用される高齢者の方々に年齢が近い分、若い方よりもコミュニケーションが取りやすいという理由もあります。ただ、無資格で就職すると最初の給料(月給)は20万前後というところですかねぇ。」
え…!? 40~50代で転職する人は多い…の?。
時節到来か 破滅の始まりか これが人生の転機
不本意な経緯ではあるが、行き詰まってどん底に落ちたこのタイミング。今こそ人生の転機が来たのだ。第3の人生の始まりである…と思いたい。
確かに収入は低い。今までに比べれば4割減。。でも、経験を積み、介護福祉系の資格を取ることで、給料は上がっていく、正社員であれば少しずつ昇給も見込める。夜勤を行うことで収入増も見込める(もちろん、自身の健康に十分配慮しながらであるが)。一時的に収入減となっても、65歳まで(介護福祉業界では70歳まで働ける法人も多いそう)のことを考えれば、総合的には今の職場を超える収入も見込める。
何より「やりがい」が全く違う。リストラとも言える不本意な異動で就いた職場で半病人のように生きるよりも、直接「ありがとう」と言われる仕事。「やりがい」に関しては、今の仕事とは比べものにならない。
一日中「立って」行う仕事であるのだから。「きつい仕事」であるという部分については、確かに体力面で現職より厳しい部分があると想像できる。ただ、「仕事がきつい」のは、今の仕事も同じ。サービス残業当たり前、休日出勤、休日も仕事を持ち帰って在宅勤務。正社員として仕事するってこんなものだと思っている。なので、「きつい仕事」である部分はある程度の覚悟を持って臨むつもりである。
あとは収入。これさえクリアできればいい。
もう悩む余地はなかった。「やりがい」と「転職可能という状況」。担当者からは資格取得の話や、対面での面談の話など具体的なことについてどんどん進んでいる。話しながら、今まで感じていた惨めさや虚しさが解消されていく、不安定だった精神がどんどん安定していくのを感じた。介護福祉職で再起してみたいと心底思うことができた。
これは時節到来か
それとも破滅の始まりか
65歳になった時、その答えが出る。
事実上無職 安易な退職申告には要注意
あまりにも軽率だった退職決定の理由
自分が軽率だったという前提であるが、現職の退職を決めたきっかけはとある化学系専門職に特化した人材派遣会社の面談担当者の「必ずご希望に沿う求人が見つかりますので、ぜひ就業のお手伝いをさせてください」という言葉だった。
「また、これまで未経験であるお仕事でも当社で用意している研修制度を利用していただければ求人応募の幅も広がりますのでぜひともご活用ください。」
とも言っていた。
「多少、分野が異なっていても理系学部出身というバックボーンがあることで、未経験からご紹介できる案件はたくさんあります。」
とも言っていた。
もう、悩むことはない。派遣社員から始めるでも構わない。自身のスキルを存分に活用してできる仕事がたくさんある。多少分野が異なっても研修を受けることで仕事に就ける。この派遣会社にお世話になろう。
進む退職の話 頓挫する就職の話
このタイミングで退職を決意、数日後に上司に申し出た。引き止められもせず、退職の話はトントン拍子で進んだ。これはこれで腹立たしいが、もうどうでもよかった。退職日は来年の1月末。あと2か月程である。
そして、早速、その派遣会社に登録、簡単な選考試験、適性検査があるということで、都内の営業所に受験に行った。結果、採用(登録可)となったのだが…
実際に求人に応募してから雲行きが怪しくなった。
二つ目の求人に応募した時(書類選考で不採用)に求人担当者の方から「直前まで同様の職種で実務に就いていないと採用は難しい」「当社で用意している研修は、当社で必要と判断した時に受けていただくものです」と言われた。
研修については確かに私の思い込みの部分もあったのだが…
「直前まで同様の仕事で…」って?
「理系のバックボーンがあれば未経験でも…」って話は?
おいおい、もう、退職申し出てしまったけど。。。
ただ退職するだけ 就職先がない最悪の状況
転職の理想が「就職先が確定してから現職の退職届を出す」であるならば、そんな状況からは程遠いというか最悪の状況に陥ってしまったことを認めざるを得ない。
次の就職について何も決まっていない、何も進展していない状況。どんな職種に就くかすら不安定な状況。ただ「辞めます」と上司に申し出ただけ。信頼できるコネがあるわけでもなく、確実性の高い求人案件があるわけでもない。要は「何もない」状態。
現状、一応就業中ではあるが、来年の1月末での退職が決まっているわけだから、54歳にして事実上無職の状況に陥ってしまったのだ。
最初の面談担当者を恨む気にはならなかった、恨んだところで何も変わらない。根本的な原因は自分の中にある。「理系のバックボーンがあれば未経験でも…」それが54歳という高齢者に該当するかどうか、少し落ち着いて考えれば分かるはずである。そんな虫の良い話があるわけがない。
でも、そんな言葉を心の底のどこかで待っていたような気もする。現職を辞めるため、もっと言えば現職から逃げるための口実が欲しかった。そんな時に縁もゆかりもない初対面の、たぶん年下の面談担当者の言葉に飛びついてしまった自分が軽率だったのは明らかである。
「粘って勝ち取る就職」は避けたい理由
まぁ、求人案件を10件、20件と手当たり次第に当たれば、就業できるかも知れない。自分のスキルを活かしたいのであれば、そんな粘り腰も必要かもしれない。
でも、今回に限っては「粘り」は避けたかった。粘って「有期雇用」を勝ち取っても3~4か月後には更新となる。更新できなければ、また「就活」の状況になる。そこでまた「粘る」必要が出るのであれば、最悪の場合「収入が途切れる」状況を招き兼ねない。できればその状況は避けたい。
そんな粘りを重ねてこそ採用の幅が広がっていくのかも知れないが、それは最後の手段にしたかった。どうしても「正社員」が無理。または、ある程度採用されやすい状況下においての職探しがよいであろうと思ったのだ。
精神的に不安定になりそうだったので、あまり深く考えないようにしていたが、内心、ホントに最悪の状況を招いてしまったと感じていた。
もはや「自身のスキルを活かす」に拘っていると、取り返しがつかなくなるような気がしてきた。そして思い立ったのが「これまでとは違う生き方」だった。
混迷、混乱、不安定 54歳にして感じる惨めさ
最初に思いついたのは「林業」。以前、私と同じ職場で隣の席で仕事をしていた同年代の男性が「経理職」から「林業」に転職していたことを思い出し、当時、野外での仕事も悪くないと思っていたこともあり少し調べてみた。ネットで検索すると「高齢者の転職可能」と出てくる。「年齢・経験不問」の求人も多い。望みはありそうだ。
そして、意気揚々と林業への転職を斡旋しているセンターに問い合わせをしてみた。結果、ここ数年の転職実績は「20~30代が中心で40代前半が1件あった」という事を教えてくれた。林業について調べ始めて3日目。この回答で「ジ・エンド」となった。
「年齢・経験不問」であっても、実際に50代未経験の転職などほとんどない。40代、50代は「経験者」が前提なのだ。
ここまで私が目指した「IT系技術職」「化学系専門職」「林業」への転職。職種に特化しているわけではない、不採用の理由は共通している。やはり「50代未経験」で雇ってくれるところには限りがある…というかほとんどない。自分で仕事を選べる…そんなご身分ではないのだ。
3か月ほどの就職活動で諦めたIT系技術職、1か月ほどで諦めた化学系専門職、そして3日で諦めた林業。
何やってんだオレ。
何やってんだよオレ。。
溜息と同時に惨めさが込み上げる。
なかなかうまく行かない転職 既に7社不採用
IT系技術職ブランク20年 ダメ元の求人応募
現実を思い知らされている。手応えがない、求人に応募しても書類選考で「不採用」または「反応なし」で終わってしまう。ちなみに「反応なし」は「不採用」を意味する。
今のところ、比較的大手企業のやや敷居の高い求人が中心であることも原因ではあると思う、IT系技術職希望でありながら、ブランクが20年以上…年齢は54歳。これで正社員の求人に応募しているのだから基本的には「ダメ元」である。
ただ、昨今のAIバブルを受け、元々「永遠に人手不足」と言われていたIT業界、今なら私のようなブランクありでもニーズがあるのでは…と見込んでの今回の転職活動だったが甘かったようだ。
確かに求人自体はある。募集可能の年齢が「59歳まで」や「年齢不問」となっているし、経験も「1年以上」や「3年以上」程度のものが多い。しかし、実際に応募してみると書類選考でNG、または「無反応」なのである。
ちなみに「無反応」は、とある人材派遣会社の求人に応募した時のことである。ここ最近は正社員の拘らず、契約社員や派遣、パート・アルバイトといった雇用形態でも応募しているのだが、求人の応募に無反応である状況を派遣会社に確認してみると、求人の応募に対しては「案内可能(採用の可能性がある場合)のみ回答」なのだそうで、「無反応=不採用」、「2営業日以内に回答がない場合は残念ながら不採用です」。とのことだった。
現在、派遣案件は2社応募したが、2社ともシカト(無反応=不採用)である。
正直、これはヘコんだ。。。
契約社員でも派遣社員でもだめ 考えの甘さを痛感
同じようなタイミングで、ハローワークで契約社員の求人があり、それも不採用(書類選考でNG)になったばかりだった。正直、ナメ過ぎていたのか。。自分の中で「正社員は難しいだろうが、契約社員や派遣社員なら大丈夫(採用される)だろう」と安易に考えていた節があったのだが、一挙に雲行きが怪しくなったのだ。
イキって会社に退職を申し出たが、実はとてつもない間違いを犯しているのではないか、全くお門違いなことをしてるのではないか、言い知れぬ不安に襲われ、いつもは布団に入れば5分と覚えていないのに、その日は1時間ほど眠れなかった。
定職が決まらない不安、生活の経済的根幹を揺るがしている不安…こんなにも恐ろしく感じるものなのか、結婚して家庭を持ち、初めて感じた恐怖にも似た不安だった。そして、頭を過ったのは「退職撤回」という言葉だった。頭を下げ、しかるべき人々に迷惑をかけたことを詫びれば、今なら間に合う。恥も外聞もプライドも捨てて真摯に謝罪すれば許してもらえる…そんな思いすら頭を過る。
不安、恐怖、恥…すべての底辺の感情が駆け巡る中、いつの間にか眠っていた。次の日の朝は出勤だったが、最悪の気分の中、地獄のような孤立を感じる職場に行く、何もかも最悪である。
困難な状況下で粘り、足掻き、そして這い上がる
今思えばここがどん底だったかもしれない。眠りに就けないほどの不安。そんな経験をした次の日、職場に行くと、やはり自分の退職という判断は間違いではないということが実感できる。
周囲は和気あいあい、私に対しては塩対応…。職場での会話は業務用必要なこと以外は皆無。完全村八分の状態。こんなところで半病人のように生きていくよりもきっといい人生が外にある。そう信じることにした。
これまでの人生でも何度かあった厳しい状況、精神的に追い込まれる状況、そんな時に私が行っている考え方が「粘り、足掻き」である。「諦める」前にその状況でいろいろやってみる、いろいろ試してみて突破口をさがしてみる、精神的に厳しい部分もあるが、解決の糸口を見つけた時の喜びや達成感は一入である。
そう、「もがき、足掻きだ!」
と考えたら少し気分が落ち着いた。
落ち着いたら見えてきた初心 まずは経済的な解決を
連続不採用の現実を突きつけられ、少し冷静さを失ってしまっていた、そもそも、正社員としての新しい就職先が決まらなくても、年金を貰えるようになる65歳までの10年間、何とか持ち堪えられると踏んでの今回の退職実行であった。
情けない話だが、親から受け継いだ財産に少し手を付け、これまで貯めてきた貯蓄や退職金を少しずつ切り崩せば、致命的な事故や病気などなければ何とか金銭的ショートは免れそう。
職場での塩対応、仕事のやりがい、家庭を守る父親としての立場
退職したいと思った時に考えるべきことはいろいろあるが、私自身は「お金」だった。経済的な安心、解決があってこそのその他の「いろいろ」であった。それは、ここ数日の自身の体験、行き先の収入不安を感じての精神的動揺によって実感した。
何とか金銭的に持ち堪えられる、あとは自分がどれだけ頑張れるか…いざとなれば日雇い労働でもなんでもすれば、何とかやっていけそう。
そんな考えに至った瞬間に何だか気分が晴れ晴れしてきた。何か解放されたような気持になった。こんな気分になったのは何年ぶりだろう。急に周りの普段の景色が新鮮に映りだしたのだ。
この辺から発想が少し柔軟になって来たのか、次に思い立ったのが「職種転換」だった。ここまで拘ってきた「IT系技術職」。中学2年の頃からパソコンに接し、切っても切り離せない存在にあると思っていたが、この拘りを転換したらどうなるかと考えるようになった。
結果、思い浮かんだ業種が「林業」と「介護職」だった。
次回に続く

































